25.ヤメるという無意味な発想
ギャンブル依存症解析【最初から読む】
5号機へと以降して以来、彼は全然勝てなくなりながらも打ち続けていました。
「もうホントに5号機はつまらないな…..勝てないしヤメようかな。もう金輪際。」
とは思いましたが、ひとつある事に気がつきました。
彼の周りの人間、すなわちギャンブラーの顔なじみが何人もいます。
同じように依存症で間違い無い人間、退職したパチンコ店の同僚(パチンコ店勤務の人間の大半はプレイヤーでもあります)、中にはギャンブルの収入のみで生活する人間やよく行くホールの常連客。
たまに「もうヤメた!二度と打たねえし!」と宣言こそするものの、何事もなかったかの様に再び台の前に着席している事なんてあたり前でした。
彼が気づいたのは「彼の周りの人間でギャンブルをスッパリとヤメた人間が一人も居ない」という事でした。
彼がたまたま見逃したのかもしれませんが、足を洗ったのを確認した例は皆無でした。
ここに来て少しゾッとした様でした。
「もしかしたら、一生抜け出せないくらいの重症なのかな….?」
と、まだ疑い半分の感じでしたが、端からみたら再起不能レベルなのです。
彼がギャンブルに興じていた間に生じた負債は「借金」だけではなく、そのプレイ中の「時間」と加えてその期間中は思考が停止している様のものなので、「何も生産していない状態」となります。
ギャンブルを打たない人間は、まずギャンブルによる借金などありません。
そしてギャンブル依存症の人間が費やす時間を仕事や趣味、人付き合いやスキルアップなど「生産的で有効な事」に時間をつかいます。
将来的、未来に向かって糧となる事をあたり前に行動し日々を過ごします。
彼はその時その時のみ、刹那的快感を金で買い続けているだけの事に囚われ、依存している為に将来的とか未来に繋がる事などおざなりにします。
ギャンブル依存症でない人間に比べると「逆走」しているのです。
何が「逆」なのかというと、普通は貯金するところを借金したり、人間関係を少しづつ築いていくところを「ギャンブルを打つ事を最優先とする」性質の為に人を遠ざけたりと、どんどんと世間から離れていきます。
とりあえず彼はギャンブルの興奮さえあれば生きていける、という人間なのです。
5号機になり、そのギャンブルの興奮がなくなりかけてきたので初めて「ヤメようかな」という発想がでた様でした。
「ヤメようかな」「ヤメた!」「もう絶対打たない!」
とか思ったり決心したところでヤメられないのが「ギャンブル依存症」です。
それは彼の周囲の顔なじみ全員が証明しています。
彼が以前勤めていたパチンコ店の常連でほぼ毎日来る客がいました。
その客はとある日を境にしばらく来なくなり、10日くらいしたらまた来店していつもの台を打っていました。
右手の人指し指に包帯を巻いていて、よく見たらその指は切断された様でした。
彼はその時、「事故か何かでやっちゃったのかな、気の毒に….」としか思いませんでした。
しかし、27歳の彼はその事を思い出し
「もしかしてあの常連さんはスロットがヤメたくてもヤメられないから自分で指を切断したんじゃあ….?ボタンを押す利き手の人差し指を…..」
事の真相は解りませんが、私は後者である可能性の方が高いと思います。